梅雨の晴れ間に、「瑠璃光院」(るりこういん)を拝観しました。
瑠璃光院のみどころは、なんと言っても、庭の青紅葉(あおもみじ)が書院の写経机に写り込む美しいさまです。
瑠璃光院は、京都の東北部、八瀬(やせ)という、いわば夏は蒸し暑い京都の「避暑地」といったところにございます。
瑠璃光院の場所は、叡山電鉄の終着駅の「八瀬比叡山口駅」(やせ・ひえいざんぐち・えき)から徒歩で5分ほどのところにございます。
京都の加茂川の上流にあたる高野川のせせらぎと涼しげな青楓にに囲まれた地域となっています。
せせらぎを聞きながら歩くと、瑠璃光院の山門に着きました。
八瀬(やせ)の地は、もともとは「矢背」(やせ)と記されます。
奈良時代に壬申の乱(じんしんのらん)で背中に矢の傷を負われた大海人の王子(おおあまのおうじ・天武天皇)。
八瀬は、皇子が、「八瀬の釜風呂」で矢傷を癒やされて以来、平安貴族たちの「いこいの場」となりました。
瑠璃光院は、明治の実業家で政治家でもあった「田中源太郎」がつくった庵(いおり・別荘)だったものです。
その別荘を明治政府の太政大臣(だじょうだいじん)の「三条実美」(さんじょう・さねとみ)が「喜鶴亭」(きかくてい)という命名しました。
瑠璃光院は、八瀬の自然と、名工たちによって念入りに作られた庭、そして数寄屋建築。
それらが、青楓につつまれ、いかにも涼しげな癒やしの地。となっています。
茶室「喜鶴亭」(きかくてい)は、三条実美(さんじょう・さねとみ)の命名。
和敬静寂(わけい・せいじゃく)の精神をあらわし、茶道の千家の六代・覚々斉(かくかくさい)好みのたたずままいとなっています。
この「和敬静寂」とは、主人と客が、おたがいの心を和らげてつつしみ敬いあうこと。
茶室の品々や雰囲気を清浄な状態に保つこと。
千利休の茶道の精神を表した言葉です。「和」と「敬」は、ともに亭主と客の心得をあらわします。
「清」と「寂」は、茶庭や茶室、そして茶器などへの心配りとなります。
書院の2階。庭を青楓が、美しく磨かれた机に写り込むさまを見ることができます。
この机は、黒い漆が塗られた「写経机」となります。
案内の方の勧めで、カメラを写経机に置くようにして撮影。
磨きぬかれた黒漆の机に、庭の青紅葉が、まるで鏡のように写り込む様子がとても美しい。
書院のとなりに設けられた部屋では、「写経」をすることができます。
拝見受付のさいに、「写経セット」が手渡されます。文字数も少なめですので、気軽な写経体験となっています。
窓から、涼しげな青楓を眺めながらの写経で、心静かになることでしょう。
つづいて、一階におりると「瑠璃の庭」(るりのにわ)。
瑠璃色に輝く「浄土」の世界観をあらわす庭となっています。
みずみずしい「苔」と、苔をぬうように配置された一筋の小川のせせらぎ。
見るものを「清らかな」気持ちにさせてくれるでしょう。
書院の障子窓からも、青楓のやさしい木もれ日が差しこんできます。
臥竜の庭(がりょうのにわ)。
天に駆け上る「龍」を、水と石の組みあわせであらわした池泉庭園。
八瀬の自然を借景とした庭は、庭師の名跡「佐野 藤右衛門」(さの とうえもん)の作となっています。
青楓につつまれるような静寂の中に佇む書院。
建物は、京数寄屋造り(きょうすきやづくり)の名人「中村外二」(なかむら・そとじ)の造。
中村外二は、茶道裏千家のお家元の御用達の大工となります。
瑠璃光院は、八瀬の自然を生かしたて、名工たちが念入りに作られた庭、そして数寄屋建築。
千利休の茶道の精神を表した言葉「和敬静寂」(わけい・せいじゃく)の精神をあらわす瑠璃光院。
あなたも、ここで心静かなひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか?
・JR京都駅から
JR奈良線の「東福寺駅」で京阪本線(鴨東線)に乗りかえ。
京阪の「東福寺駅」→終点「出町柳駅」で下車
叡山電車の叡山本線「出町柳駅」から終点の「八瀬比叡山口駅」で下車
八瀬駅から徒歩で約5分
・バスで
JR京都駅から、「京都バスの17系統」で、終点の八瀬比叡山口駅で下車
※市バスではなく「京都バス」です。
・お車で
JR京都駅からクルマで約30分
※叡山電鉄の八瀬駅前に「民間の駐車場」あり。1日1,000円
瑠璃光院の公式サイトは、以下のリンクをクリックしてください。