あの人はタダモノじゃないわよ。あんなキレイなおじぎを見たことない。
「茶人 武田のおばさん」に茶道を習うことになった主人公の典子。はじめは、お茶をただの行儀作法だと思っていた。
できることなど一つもなかった。
ついさっきやったばかりのことなのに、何一つ残ってなかった。いつになったら流れるようなお手前ができるのだろう。
突然、手が動いた。考えていないのに勝手に動いた。水指からお釜へ柄杓が見えないレールに乗っているかのように。
ある日突然、雨が生ぬるく匂いはじめた。
夕立がくると思った。それまで、雨は「空から落ちてくる水」でしかなく、匂いなどなかった。
わからなかったことが、ひとつ、またひとつ、自然にわかるようになった。
茶道では、心の気づきの楽しさを奪わないために、あえて教えない。何も教えない。
お茶の「作法」は、厳格であり、自由などない。ところが「作法」のほかは、何の決まりもない。
学校も茶道も目指しているのは人の成長。
しかし、個性を重んじる学校教育のなかに、人を競争に追い立てる不自由がある。
きびしい決まりごとに縛られた茶道のなかに、個人のあるがままを受け入れる大きな自由がある。
学校は、いつも他人と比べる。お茶は「きのうまでの自分」と比べる。
私は、この本を読んで、感動し、また茶道のお稽古を再開しました。それくらいオススメの一冊です。
この記事を書いている「京都はしもと製陶所」では、「橋本城岳」(はしもと・じょうがく)のブランドで抹茶碗を作っております。
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